私が邦楽を本格的に聴き出したのは大学を出てから。そして出逢ったのがBUMP OF CHICKENでした。いや、以前から耳にはしていたのですが、本格的にファンになったのは26歳を過ぎてから。彼等の音楽に魅せられ、他のアーティストの追随を許さない歌詞に魅せられ、現在に至ります。ここでは、私にとってのBUMP OF CHICKENの楽曲への偏愛を書いていこうかな、と思っています。 BUMP OF CHICKENの皆さんは「楽曲への先入観を持たずに聴いて頂きたい」と仰ってます。曲の捉え方は人によって違うから、という理由からだと思います。なので、ここではあくまで私の主観、ということで非常に勝手なコメントを残していきたいと思います。 |
私がBUMP OF CHICKENを知るきっかけとなった曲です。大学時代、私はまだ邦楽に疎く、好きなアーティストもいませんでした。全く聴いていないという訳ではありませんでしたが、アーティストのネームバリューではなく曲自体でお気に入りを選んでいました。 そして久し振りに実家にある日、妹が一枚のCDを聴いていました。これがBUMPの天体観測だったのです。運命の出逢いです。とはいえ……、当時のBUMPに対する私の反応は今までと同じでした。「ふうん、こんな良い曲書いているバンドもあるんだな」と思い、ただ曲にひたすら没入しただけ。まだインターネットのインフラが整っていなかった時代で、BUMPの情報をネットで検索、なんてことを思いつく訳がなく、加えて今も昔もBUMPはメディア露出が少なかった為、同タイトルで放送されたドラマ「天体観測」やCDでその曲を聴いただけです。 しかし、このの曲に途轍もない魅力を感じたのは事実でした。今までインストゥルメント専門だった私を邦楽に引き込むきっかけとなったのですから。まず、同じオブリガードのパッセージが何度も出てくる。BUMP十八番の見事な「伏線」です。そして、曲全体を引き締めるスネアドラム。ベースが少し薄いのが気になったのですが、曲の疾走感からそれも魅力の一部に見えてきました。 BUMPはこの曲で一気に有名になったみたいですね。代表作を挙げると必ずこの「天体観測」が出てきます。実は、私はこの事実もあって、暫くこの曲から離れていました。BUMPの他の曲を色々と聴いてから「天体観測」の位置づけをしてみようかな、と思ったのです。そして最近結論が出ました。これは紛れもなく不朽の名作です。万人に受け入れられる爽やかなメロディー。序奏からフィナーレまで緩みがなく、完成度の高い作品だと思います。 さて、藤原クンはこの曲について「ラブソングではない」と仰ってるみたいです。実は私もラブソングだと思ったのですが、それは違うのですね。それでは歌詞に出てくる「君」とは一体誰なのでしょう。「男の友情」? それも違う気がします。 |
私が知った2番目の曲。出会いは会社の先輩・同僚と行ったカラオケでした。同僚の友人が歌ったのがこの曲です。この時からBUMPの持つ歌詞の特異性に気付き初めました。その時まで、私が邦楽で買ったことのあるCDは2枚のみ。しかし、この曲だけはどうしても我慢が出来ず、入手することに決めました。後日、歌を歌ってくれた同僚に詳細を教わり、CDショップへ。(因みに、その友人はASIAN KUNG-FU GENERATIONも薦めてくれました)当時の私はCDレンタルをしない人間だったので、マキシシングルを購入。実は後日、その時点で既に「jupiter」がリリースされたことを知るのですが、それはまた別のお話。 CDを聴いた時の感動は今も覚えています。泣きました。ラストのサビを聴いて泣きました。自分自身の心を支える信念をハルジオンという花に譬えた歌。掴もうとした夢、抱きかけていた希望、それが叶わぬことであろうとも、何度も何度も掴み取り、抱こうとする姿。このハルジオンという花は生命力が高いということが図鑑に載っていました。踏まれても、切られても、枯れても、潰されても、……諦めかけた夢、希望が遠ざかって零した涙がその種を消してしまおうとしても、また再び芽吹き、そして花を咲かせる。 この曲の歌詞には、ハルジオンという花の名前は具体的には出て来ません。ただ、「白くて背の高い花」と書かれているだけです。何故なのでしょう? これは私的見解でしかありませんが、名前を出さないことでその信念の強さを表したかったのではないでしょうか。ハルジオンは実質、雑草の部類に含まれているそうです。いつも、誰が見ても、どんな景色にも、その花は揺れている。名も無き雑草は自分が知らなくても、確かに自身の心に根付いている。ハルジオンという名はそんな信念そのものであり、その名前を知っているのは自分だけなのではないでしょうか。 音楽にも徒ならぬ魅力があります。「天体観測」よりも少しアップテンポで駆け抜けるロック。そして同様に含まれるパッセージの伏線。コーラスが変わる度に伴奏も少しずつ変化し、曲を調整しています。ところで、この曲を歌おうとすると結構音程が取り辛いです。7度が多く、VocalとBaseの音程が半音の箇所が多いです。でも私はこの曲を愛用しています。 |
全曲を聴き通した時、背筋が震えました。私のJ-popに対する概念をがらりと変えた曲の一つ。他に含まれるのはピチカートファイブの「大都会交響楽」です。こちらはその名の通り様々な楽器で装飾された豪華絢爛な曲風に惚れたのですが、「K」の場合は矢張りその寓話的な詩でした。 出会いはまたしてもカラオケ。同高校・同大学の同窓会で後輩が歌っていた曲でした。初めて聴いたときには内容を噛み締める余裕はなく、生まれて初めてCDをレンタルしました。 孤独を望み、他人を思いやることを煩わしく思っていた黒猫。そして彼は一人の画家と出会う。画家は黒猫に自分自身を投影し、黒猫を抱き上げる。そして黒猫は初めて他人を思いやることを知る―。黒猫は画家と一緒に過ごすことになるが、やがて画家は貧しい生活に倒れ、黒猫に一通の手紙を託して息を引き取る。そして黒猫はその手紙を画家の恋人に届ける為、走り出した―。 果たして、画家と出逢った黒猫は幸せになったのでしょうか。もし画家との出逢いがなければ黒猫はもっと長く生き続けたのかも知れない。幸せの形は多種多様です。ifの彼方にあるunalterableな価値観、それは、「どちらが幸せか」という問いに答えを出すことを拒んでいる。でも、考えようによっては、画家と出逢った黒猫の価値観は、それ以前のそれと比べて上位互換だとも言えます。「忌み嫌われた俺にも意味があるとするならば」。今までは自分自身の存在意義なんて全く考えていなかった。画家と共に暮らした黒猫は、画家が自分を認めてくれたことで生きる理由を見つけたのだと思います。そして黒猫は自分に出来る最大限の命の主張を試みた。また孤独に生きるか、それとも画家の為に走るか。黒猫はその二つを天秤に掛け、今まで画家のくれた優しさ、温もりに応えようとしたのだと思います。 曲に関しては特別に抜きん出ている、という訳ではありませんが、矢張りBUMPらしい一面を垣間見ることが出来ます。私が惹かれたのは第3コーラスの伴奏に出てくるコラール(?)。楽器の音を最小限に減らしてその切々と訴えかける声は「雪原」というイメージを視覚的に教えてくれます。 親友の為に走り、そして親友の為に命の火さえも犠牲にしたホーリー・ナイト。ナイト――騎士は、他人の為に命を犠牲にして戦う誇り高き英雄。その気高さ全てをたった一つのアルファベットに託し、物語は幕を閉じます。 |
この曲を知ったきっかけは、BUMP OF CHICKENのアンチスレッドでした。この時私はうつ病が再発し、言ってみれば人生のどん底にいる状態でした。何もする気が起きず、ただネットを観ながらぼうっとしているだけ。そしてその私の唯一の世界で、上記の通りアンチスレッドに出会いました。きっかけは詳しくは話しませんが、「売れているグループにはファンと比例してアンチもいる」という情報を元に試しに覗いてみたのです。 正直に言いますと、アンチの皆さんの会話に心打たれました。アンチと銘打っているけれど、皆さんは誰よりも真摯にBUMPについて熱く語っている。付け焼刃でファンになったつもりでいた私は目から鱗が取れる思いでした。 そしてその中で語られていたのが「sailing day」でした。「駄目だ」と豪語するアンチの方がその価値を認めた曲(のような発言だった気がします)。丁度「yggdrasil」を借りたばかりの私は早速聴いてみました。 ご想像の通り、思いきり泣きました。人生を諦めていた私にとってその曲は余りに重かった。飾った歌詞、難解な歌詞は一切ありません。自分が自身の存在を諦めない限り、失敗や後悔の果てに必ず光は見えてくる。そしてその光がある限り、自分はその一秒を命懸けで生き、そして困難に果敢に立ち向かっていける。大袈裟に言うつもりはありません。本当にこの曲に救われた思いでした。 歌詞を引き立てる楽曲も印象に残っています。冒頭にフェードインしてくるサイレン。これだけでもう何かを暗示しているようで鳥肌が立ちます。そして短調のメロディーを経て一転サビは輝かしい長調へ。この短調→長調の展開は混沌の中から光が放たれるようで、「sailing day」に限らず私は大好きです。そして最後のコーラスで再び聴こえてくるサイレン。もうこれに痺れてしまいました。今でもこの曲は間違いなく私の中でBUMPのベストです。 |
初期衝動はありませんでした。冒頭のの歌詞も少しぺたんとしてた感じ。何でこの曲を聴くことになったんだろうと思うと、多分アンチBUMPの掲示板だったような気がします。この時は実家で静養しており、運動する為に散歩に出ていたので、その途中でポータブルプレーヤーに入った曲を聴きながら歩いていました。その中に「ロストマン」がありました。まだ曲全体が把握できなかったので聴き流していたと言った方が良いかも知れません。歌詞も数回聴いただけでは真意が見えず、何度も「聴き流して」いました。 が、いつしかこの曲が胸一杯に浸透することになりました。徐々に徐々にストーリーが見え、遂には「sailing day」と並ぶ名曲だ! とさえ思うように。これが制作時間半年以上を掛けたバラードか! 私は納得しました。 大切な人を失った一人の男。その現実を受け入れることが出来ず、ずっと現実から逃げていた。しかし彼はやがて気付く。大切な人と一緒にいた過去は想い出でしかない。自分は一人でこの世界を生きていかなければならない。想い出の人との決別を受け入れた時、止まったままだった時は再び動き始めた―。私が印象に残っているのは最後の歌詞です。「再会を祈りながら」。私はまだこの歌詞に篭められた真意を量りかねています。失った人と本当に再会を果たせる訳ではない。自分が違う世界へと旅立つ訳でもない。ということは、彼が切り取った想い出は単にそれに留まるだけでなくロストマンが導いた男の胸の中で生き続けている、ということなのでしょうか。 曲は兎に角ドラムが盛り上がる箇所が大好きです。今までの静的な曲調から時の本流そのものを連想させるような展開。そして「さあ、行こうか」と強く立ち上がる男が呼びかける「ロストマン」という声。孤独、迷いから解き放たれた男が歩き出す場面を描いたクライマックスは強い信念を感じ取ることが出来ます。 |
人は何故泣くのでしょう。感動、悲しみ、喜び、苦痛……。この曲はこのことを改めて教えてくれました。 皆に嫌われて孤独だったライオンがただ一人だけの友人を見つける。そしてライオンは自分の命が途切れそうな時になっても、友人を悲しませまいとし、大きな声を上げて無事を伝えようとする。「お前のような姿になれれば愛してくれるかなあ」。この歌詞にもう打たれました。誰よりも愛されることを望んでいたのはライオン自身。自分が孤独だったからこそ、誰よりも誰かを愛するという大切さを知っていた。 「ひとが時に、苦しみを必要とすることを、今は知っている」 人は何故泣くのでしょう。それは、本能的に自分が愛し愛されることを望み、心の温かさを持っているからなのでしょう。 楽曲については少し戸惑いました。余りに切ない歌詞に反して少し曲調が明る過ぎるかな……。でも、「暗い曲だったら聴かないかな……」なんてことも考え、今ではこれはこれでフィットしているのだろうと思っています。ただ、個人的な意見になりますが、後奏を付けてもう少し余韻を持たせても良かったかな、といつも考えています。 |
この頃になると、私にとってBUMP OF CHICKENが特別なアーティストであることを認識し始めました。そして偶々インターネットで彼らの作品の人気ランキングを発見。そこで出会ったのがギルドです。その時私は休職中で毎日毎日「自分は何をしているんだろう。何の為に生きているんだろう」と半ば自暴自棄になっていました。 何の為に生きているんだろう―。そんな時に聴いたギルド。 人間は仕事ではない。人間を辞めることなんて出来ない。時には休みたくなったり時には涙を流したりするが、人間を放棄する訳にはいかない。自分にとって人間で在り続けることは許されるのだろうか。こんなに適当に生きてきて現実から目を背けることは許されるのだろうか。迷いは尽きない。涙は止まらない。こんな人生なんて―。 ……違う。何の為に生きているのか。理由なんて要らない。仕事なんかじゃあない。命を授かったその時から、自分自身が人間で在り続けることを選び取ったんだ。何の為に生きているのか。それは誰もが一度は思うこと。答えは見えている。人間で在り続ける為ではない。生きる為に生きているんだ。自分が望んだ「生」を全うする為に日々を送っている。ありのままの現実を見れば良い。ありのままの自分で良い。それが当たり前の日常。 曲はもう大好きです。優しいメロディー、優しい藤原クンの歌声。本当に心に響きます。そしてバックで淡々と流れる金属音。恐らく人間の業を表しているのでしょうか。他の楽器がフェードアウトした後も、この金属音は最後まで鳴り響きます。私としてはこれが永劫に続くのではないかと思い、いつも最後の一音が鳴らされるまで聴いています。 |
「プラネタリウム/銀河鉄道」。初めてCDを発売時に買いました。賛否両論ですが、近年の作品ということで音が随分と綺麗になっています。私はインストを聴いていたので綺麗に越したことはありません。 自分は時の流れに取り残されている。周りは進んでいるのに自分は止まったまま。こんな自分は周りから無視されているのではないか。周りに迷惑を掛けているのではないか。 先程も述べましたが楽曲は文句なしです。冒頭の静かなアコースティックギターで、列車の座席から窓を眺めている男の孤独が描かれている。そしてワンコーラスを経てパーカッションが入り、突然視界が開けます。車内に明かりが灯り、周りの人間達が見えてくる。三拍子のリズムで列車が進んでいく様子が巧く表現されています。車輪がレールの継ぎ目を踏む音。微かに響くベル。まさに幻想世界の鉄道。 |
この作品にはインターネットで出逢いました。詳しくは書きません。というか書けません。BUMPファンにとってタブーとされているとあるルートで……。全曲を通して聴いた時、衝撃を受けました。これは……BUMP OF CHICKENの集大成とも言える秀作です! “ダレカノ〜”……「K」 無理のある箇所もありますが、今までの作品の様々なメッセージが込められています。そしてサビの歌詞。自分を見失いそうになっても、自分を見捨てそうになっても、確かに自分は生きている。気付かない所で命の火種は今も明かりを灯している。自分を信じ、生きている証を掴み取ろう。 この曲で特徴的なのは後半から出てくる壮大なコーラスです。私が観たライヴのビデオでは、この曲がラストを飾っていました。メンバーも観客も一体になって高らかと歌い上げるその声は生きとし生けるもの達全てへの讃歌に聴こえてきます。聴く人に希望と自信、そして感動をくれる曲。不朽の名作です。 |
「ハルジオン/彼女と星の椅子」を買った時から不思議に思っていました。カップリングの「彼女と星の椅子」の演奏時間が長過ぎる。歌詞を見るとかなり短い筈なのに、15分近くもあるなんて。「インストがずっと続くのかな……」と思いつつ、長過ぎるので聴くのを控えていました。 そして最近。隠しトラックの存在を知りました。 「そ……そうだったのか!」 「プラネタリウム/銀河鉄道」を調べてみると、ありましたよ。隠し曲がちゃんと収録されている。CDのカバーを外して裏表紙の裏側を見ると歌詞まで載っている。これが「いか」でした。 「いか」です。「イカ」です。「烏賊」です。あの海にいる。 いか!いか! いか!いか! いか!いか! いか!いか! もう大好き。 でもこんな隠しトラック作ってくれるのならカラオケヴァージョンも収録して欲しいなあ……。 |
「ユグドラシル」に収録されていましたが、実は初めは余り聴く気がありませんでした。これは私の誤解から始まります。恥ずかしながら「グローリー」はgrotesqueの派生語だと思っており、更に単語の韻を踏んでいることから諧謔的な雰囲気を想像してしまったからです。 一気にその広大な世界に引き込まれました。 「only lonely glory」という輝かしい囁き。そして始まるギターの疾走。恐らくBUMP最速のビート。そしてロ長調! 何故だか知りませんが私はロ長調が大好きです。何度聴いても飽きません。「only lonely glory」の叫び声が恍惚感を齎します。 心を閉ざしてしまった自分。皆はそれぞれの光を掴み取っているのに、自分は迷いや悩みを抱いて止まったまま。目指している目標は遥か遠く。そんな栄光を勝ち取ることなんて出来やしないのではないか。 だけどそれは自分が自分に勝手に鍵を掛けてしまっただけ。この世界を歩く勇気は自分自身がずっと抱いている。それは気付かなくてもずっと前から息衝いている。既成の栄光を勝ち取るだけが勝利ではない。仮令それが小さな夢の欠片だとしても……、自分だけの只一つの栄光には間違いはない。大切なのは小さな勇気で自分だけの道を切り開き、少しずつでも歩いていくこと。人と同じことをしなくとも良い。惑わされなくとも良い。小さな夢の欠片を手にした時、それは大きな輝きとなって自分自身を更に遠くに導いてくれる。終わりのない広い世界で。 懸命に生きる人への応援歌―。私はそんな気がします。 |
これもとあるタブー筋で知った曲。直ぐにツボに嵌りました。何というかストーリーとして非常に魅力のある曲でした。 涙の止まらない男の元にラフ・メイカー(laugh maker……直訳:笑いを作る者)が訪れるお話。結局「帰ってくれ」と言われたラフ・メイカーも泣いてしまうのですが、笑わせないと帰れない彼は再び立ち上がります。泣いていた男も彼に会う気になりドアの鍵を開けますが、涙の水圧でドアが開かない。そしてラフ・メイカーに「ドアを押してくれ」と頼みますが外からの返事がない。裏切られた男は再び泣き出しますが、ここでラフ・メイカーは鉄パイプで窓を破って入ってきます。 ラストのオチも秀逸。ラフ・メイカーは「あんたの泣き顔笑えるぞ」と鏡を突きつける。そこには涙で濡れた男の顔が映っている。悲観的だった自分を客観的に見て笑うことでそんな自分を払拭し明るくなれる。本当に歌詞全体を通して一つの童話のようになっています。語彙の選び方にもセンスが見られます。 楽曲は本当に飽きさせません。ストーリーに沿って入れ代わり立ち代わり伴奏が変化する。全体的には8分音符主体ですが、所々に現れる16分音符がアクセントとなって曲を引き締めています。この曲で私が好きなのは、全編を通して出てくる「ファファラシドレミド/ミミソドレミドー(移動ド)」というオブリガードです。これがもう曲に極上の味付けをしていると私は感じます。そしてクライマックスのややシャウトが掛かったボーカルも大好きです。これが感動のフィナーレに繋がった時は「やったー……」と思わず叫んでしまいます。いや、嘘ですけど。 |
今「sailing day」の次に気に入っている曲です。最近山を散歩しながら歌の練習してるんですが、必ず最初に歌ってます。 自分は決して特別な存在じゃあない。空を飛ぶことなんて出来はしない。でも、無限に広がる大地を歩いていくことが出来る。試行錯誤しながら、一歩一歩確実に進むことが出来る。広い宇宙の中にあるこの大地は人生のステージ、そしてその主人公は他ならぬ自分自身。サビのフレーズ「君が立つ地面はほら360°全て道なんだ」は大好きです。 曲は矢張り力強いパーカッションが特徴的ですね。大地をしっかりと踏み締める音がひしひしと伝わってきます。最後の「lalala……」の箇所ではクラップも入っているのかな? 私はこのクラップに弱いです。「fire sign」の最後でも泣いてしまいます。ただ、少しインスト部分が長いかなあ……、というのが私的感想(カラオケバカの主張)。もう少しコンパクトに出来たかも知れません。 ところで、この「Stage of the ground」の歌詞には、BUMPのメンバーの友人さんの息子さんの名前が含まれているそうです。 |
いきなり最新曲に飛びました。ナムコのPS2ゲーム「テイルズ オブ ジ アビス」のテーマ曲となっています。ゲームの紹介ページで「銃弾のように歌詞を心に撃ち込む」と書いてありましたが言い得て妙ですね。ゲームのテーマは「自分探し」。生まれた意味を知る、ということで非常にマッチしているみたいです。確かに聴いた限りではそれらしいですね。もう一人の自分を見つけるという歌詞がいかにも。藤原クンのリリックが一体ゲームにどれだけ結びついているのか、少しプレイしてみたくなりました。 私がこの曲で気に入っているのはやっぱり音楽の方です。まさに弾丸のように迫るイントロ。そしてギターのポルタメント(スライド?)が「テイルズ〜」の世界にぐいっと引き込みます。曲全体は今までのBUMPの典型みたいな感じ。冒頭はボーカルメインで徐々に楽器が増え、そしてラスト直前で再びボーカルに視点が移る。この構成美がBUMPの拘りなのかな。私も好きです。 特に私が好きなのはイントロが再登場してボーカルと絡む箇所です。そして直後に打ち鳴らされる鐘の音。もうこの鐘にやられました。更に響き渡る高音コーラス。まさしくファンタジー! って感じです。そして後奏にもイントロの伏線が張られ、そこに藤原クンの叫びが呼応。演奏時間は短いですが、全てのエッセンスが凝縮されて非の打ち所がない。……まあこれは私の贔屓目もありますけどね。 |
今BUMPの中で一番聴いている曲です。抜きん出て高い評価はないみたいですが、この曲大好きです。リリックとメロディーの相性が抜群に良く、渾然一体となって心に響いてくる。盛り上がる部分では未だに涙を禁じ得ません。 新しい物を手に入れる為には、今持っている何かを犠牲にしなければならない。躊躇、後悔、涙は次々に湧いて出る。でも、それが当たり前のこと。そうやって人間は大きくなっていく。次のステージへと進んでいく。 そして、人と同じ道を歩むことは出来ない。同じドアをくぐることは出来ない。馴れ合い、理想、中途な愛。そんなものをいつまでも抱いていることは不可能だ。人の数だけ、生きる道がある。道の途中で他の人に出逢ったとしても、その交差点に永遠に留まることは出来ない。胸の中に深い名残りを残しながら前に進んでいく。 人生における分岐点。その答えを他人に求めることなんて出来ない。自分の勇気を持って決断しなければならない時がある。その時に失ったものは大きいけれど、どんな道を選んだとしても後悔は必ず待っている。「手に入れる為に捨てるんだ 揺らした天秤の掲げた方を」たった二つの天秤皿。取捨は簡単な筈――だけど決断には勇敢さを求められる。そうして答えを自分で得ることで次の道が開かれる。 実を言うと何故この曲で泣いてしまうのか自分でも分かりません。でも、涙が出る以上は、この歌詞に大きく共感しているのでしょう。今の自分は泣いて、悔やんで、振り返っているのかも知れません。いつかその感情を自分で包むことが出来た時には、声に出して歌いたいと思います。 |
この曲は記憶障害を持ったメンバーの知り合いを意識して作られたそうです。つまり、自分達のこと、自分達の歌をいつまでも忘れないで欲しい、と――。最終的には、その方は病気を克服されたとのことです。 しかし、そんなエピソードを抜きにしても、この曲は大切なことを訴えかけてくれます。この世界を生きている以上、常に新しいことに直面し、過去は段々と廃れていく。でも、そんな過去の中には、決して忘れてはいけない事があるのです。大切な人、大事な思い出、その時にはまだ幼かった自分自身。その絆はどれだけ時を経ても消えていくことはない。そして、それがある限り、自分はその記憶をばねにして未来へと歩き出せる。 静かなギターから始まって徐々に音量を増す展開はBUMPお気に入りの構成。それにしても冒頭のギターは綺麗ですね。そしてこの曲の途中で挿入される転調は私達の心をぐっと掴みます。その後の流れるようなコーラスは、歌詞にある通り、まさに鐘の音を彷彿とさせる雰囲気。ここは本物の鐘を使っても大きな効果が出たんじゃないかな、と思ったりもします。 |
今まで二度罹った鬱病。現在もまだ完治せず通院を続けています。症状が酷い時には朝布団から出ることすら侭ならない状態でした。動けない自分が情けなかった。 この曲は日常の些細な怠惰が描かれています。朝、布団から出られない自分の姿。その夢の中に逃避する自分の姿。言い訳がましくなりますが、私の場合は病状ということにも起因していましたが、そんな歌詞に自分を重ねて見てしまいました。日々心は重くなり、一日一日を続けていくのが本当に辛かった。何をやっても楽しい気がしない。最悪、私は私という時間を止めてしまったかも知れません。 でも、それは許されないんです。自分の時を止めてしまうなんて。 失敗しない人生なんてない。後悔しない人生なんてない。どんな生き方をしても、山や谷は待ち構えている。出発は遅くても構わない。現実を現実として受け止め、少しずつでも良いから道を創っていかなければならないんです。今がなければ将来なんて絶対にやって来ないんです。 これを書いている今、私は自分がどんな状態なのか正直に言って分かりません。上辺だけの働きたいという意志を持ちながら、実はこのままずっと何もしたくないのかも知れない。本当の怠惰が身体を支配しているのかも知れない。そんな逃避を早く絶つべく、お医者様から労働許可が出たら、まずは動いてみたいと思います。(2006/3/23) |
アルバム「yggdrasil」の中では結構ひっそりとしている曲。私も聴き出したのは最近になってからです。しかし徐々に嵌ってきました。まず楽曲が素敵。全体的にスローですが、メリハリが付いていて陽と陰を持ち合わせている感じです。まるで太陽と月のように。 歌詞は解釈に難しかったです。私は文学人ではありませんから(笑)。しかし、このレビューをしたいという思いで、昨日4回程通して聴きました。 自分がいるのは暗い部屋。何も見えない。何も感じない。自分自身で心も身体も閉ざしてしまったから。外には光が溢れている。そして……、君は僕を探しに来てくれた。差し伸べられる手。それを必死で拒む自分。外には出たくない。君に来て欲しい。暗い部屋を知って欲しい。 でも、……その誘いは絶対にしてはならないことだった。同じ闇に塗り込められた君が全く見えなくなってしまった。 光に照らされるのを怯えることはありません。皆、その世界で生きています。そして改めて後ろを振り返ってみると、今まで自分がいた闇の世界がある。引き篭もっていた過去の自分に気付く。そんな姿を自身で認め、抱擁することで「もう戻らない」と誓えます。光ある所に必ず闇はある。太陽のある所に必ず影がある。でも、闇の中にいたままではその光を浴びることはありません。相容れない二つの世界。しかし、闇の見えない光の世界から、それでも差し伸べられた手があるのならば、両親、友人、恋人、偉人の言葉、その違いこそあれ、それこそがその人にとっての太陽そのものなのではないでしょうか。太陽の光は、誰にも平等に光を投げかけてくれます。そこがまたこの詩の綺麗な所だな、と思います。 楽曲で特徴的なのは、最後のコーラスで二つのフレーズが同時進行する点です。自らの姿を意図的に隠してしまう「かくれんぼ」。その光景が切々と歌われるだけに、思わず涙ぐんでしまいます。陰鬱な内容が延々と続くだけに、最後の最後での歌詞が本当に印象に残ります。(2006/4/8) |
supernova――超新星爆発――。星はその一生を終える時、一際輝かしい光を放って爆発します。このスケールの大きい題名から、最初この曲を聴いた時は正直に言って少し肩透かしを食らった感じでした。でも、最近この曲を何度も何度も何度も聴いて段々と印象が変わってきました。出発点である「ガラスのブルース」をより広く深くしたような、まさにBUMPらしいメッセージソング。こんな綺麗な詩、本当に旋律に乗って歌われているんだ。そんなことを思いました。 人間は普段、自分が生きていることを自覚していない。何気ない日常が当たり前だと思っている。それが如何に素晴らしいことかを感じることなく。 人間はいつか死を迎える。そしてその時、自分が今まで生きていたことに気付く。誰かが死ぬと、その人が今まで生きていたことに改めて気付かされる。ある意味、人間の価値は死の瞬間に始めて位置づけられるのかも知れない。だから、今この身体がある間、一分一秒を大切に生きていかなければならない。 自分がどんな人間であれ、生を全うするだけで歴史は作られる。この大きな世界で、たった数十年であろうとも、掛け替えのない存在だったことを知る。そしてそれは自分が大切に思っている人だって――。本当に欲しいのは、いなくなってしまった人の価値なんかじゃあない。その人の今の声、表情、言葉、歌、心、仕草、愛、それが何より必要なもの。でも、それに終わりがくるのならば――、自分がその人を忘れないことが何より大切なんだ。 どんな小さな星が爆発しても、それが広大な空の片隅で存在していたことに変わりはない。自分の想う人がいなくなってしまっても、その人が存在していた事実に変わりはない。自分と時間を共有していたことに変わりはない。自分と人とを繋ぐ絆、それは言葉だけでは表せない。気が付けば胸の内に溜まっている溢れる程の想い、それは伝えようと思っても伝わらないこともあるだろうし、気付かない内に伝わっていることもある。だから、想いを二人で抱きあったことを大切にしていかなければならない。 大きな時間の流れの中、多くの命が懸命に生き、そして散っていくことを受け止め、それを忘れてはならない。 歌詞の価値観が何となく掴めてきた時、楽曲の価値観も段々と変わってきました。こんな優しい曲は他にありません。包容力のある音が心地よく響きます。最後のコーラスはこの素敵な曲を一層と引き立てています。(2006/4/27) |
いや、良い曲です。何でこんなに感想が遅れたんだろうと思い返せば、やっぱり私のマイナー指向癖が出たんじゃあないかと(←アフォ)。 最初は題名から「少し垢抜けないな」という感じを持っていたのですが、曲を聴いて分かりました。この雰囲気を意図していたんですね。BUMPには珍しい、別れのペーソスを含んだ恋愛歌(?)。私の知る限り、一番「詩」らしい詩ですね。「錆び付いた車輪」の連用、「確かな」→「微かな」や「二人だけみたいだね」→「一人だけみたいだな」の変化、サビの使い回し。作品として巧く纏っています。 でも矢張り私が気に入ったのは楽曲でしょうか。まず、冒頭のマンドリンが秀逸。一度聴いたら忘れられません。それから、最近では珍しくなくなりましたが、同じメロディーで違う伴奏(コード)を使うのはやっぱり面白いです。特に歌い出しの部分に関しては、ベースが出る際に♭Gを伸ばしますが、それが次の♭Dに被って微妙な不協和音になってる。ここ、個人的に凄いツボです。曲が進むと例の如く音量が増え、ビートが細かくなる。しかしこの曲、ロック系のバンドにしては珍しい音構成ですよね……。 さて……、ところで、この曲のDVD、男女が逆になってるんですよね。小屋の中でのカルテット演奏の映像が気に入っているだけに、ちょっとそこの所が気になりました。(2006/5/29) |
この「レム」という題名の意味を色々と調べたんですが、結論は出ませんでした。ファンの方の間では、1.人体組織の放射線量の計測単位rem、2.「レ」クイエ「ム」、3.レム睡眠、という説が出ているそうで、3が有力だとか。 最初は余り関心のない曲でした。終始抑揚がなく、静か過ぎる程静か。歌詞も珍しくかなり抽象的でとっつきにくかったです。でも、後半のフレーズ「生まれたことを恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ」を聴いて衝撃を受けました。改めて全体を聴くと、銘銘の言葉はばらばらなのに、一言一言が鋭く心に刺さり、抉ってくる。こんなに優しいメロディーなのに、こんなに厳しい曲。 人は自分を飾って暮らしています。時に強がって、弱く見せて、偉ぶって、卑屈になって、同情を誘って、態と突き放して。時に他人の仮面を借りて。時に人の言葉を盗んで。 ――そして、時に自分の人生の責任まで他人に押し付けて。 仮面や衣装は処世術であり、欠かせないものであります。しかし、自分が自分の純粋な部分を欺いてしまってはならない。唯一自身を知る人間が消えると、本当の彼は消えてしまう。「ホンネとタテマエ」。難しい言葉で私もまだ全く自身をコントロール出来ませんが、明らかに作為的な言動の前に、その影響を考えることが必要なのかも知れません。(2006/8/9) |
最近ピアノソロの楽譜を買ったのですが、編曲が一番好きなのはこのスノースマイルです。原曲も好きです。バックコーラスを含めて非常にメロディアスで良いんじゃないでしょうか。惜しむらくは結構近年の「ユグドラシル」の中でボーカルのピッチが少し低いこと。 以前どこかで「雪が降らない曲」という藤原君のセリフを聞いた覚えがあったのですが、ずっと「じゃあ何でスノースマイルなんだ」と悩み続けていました。最近ようやっと分かりましたよ。「ああ、消える笑顔なんだな」と(←アホ)。 恥ずかしながら私の恋愛経験は小学生以来ゼロですが(居直り)、どことなく別れの中にも温かさが感じられます。やっぱり最後まで相手のことを思い遣っているセリフが利いているんでしょうね。ストーリー情景が頭に浮かぶ曲です。 ただ、やっぱり雪の印象が強い曲調なんですよね。特にリンギングヴァージョンを聴くと……。(2006/9/23) |
発売後すぐに感想を書くのって、なんか初めてですね。本当にいい歌書くなあ……。 結果があれば原因がある。頬に涙が伝ったのならば、そのシルシにはきっと意味がある。それは、心に刻まれた傷。痛みとは限らない。感極まった疼きがそのまま残されていることもある。身体と共に生き続けた心は、共に代え難い体験をしてきた。一度刻まれた記憶はもう消しようがない。辛い記憶はいつかは忘れられなければならないけど、自身が成長するためには、時に、もう一度その心の傷を見つめ直し、撫でてやる必要がある。どうして涙は生まれたのか。 涙はすぐに乾いてしまいますが、心はずっとあり続けます。笑えること、泣けること、怒れること、それは心がある証拠なんだと思います。 久し振りのリリースということですが、ロックバンドながらも柔らかな表情が目立ちました。素人耳で申し訳ありませんが、技術もかなり向上しているんじゃないでしょうか。藤原くんの音程がとてもしっかりしてきました。それからサビの「会いにきたよ」と訴える部分が大好きです。(2006/11/24) |